2011年3月30日水曜日

フランス ルーアンのジャンヌ・ダルク博物館は・・・



かつてのノルマンディー公国の首都・ルーアンに行きました。
ガイドブックに人口が39万人とあったので、あまり気が進まなかったけど、行ってみるとやっぱり車だらけで街を走るのがたいへん。
でも、迷いながらも何とか車を駐車場へ入れて旧市街の通りを歩きました。

ルーアンはジャンヌ・ダルクが処刑されたところとしても知られています。で、ジャンヌ・ダルク通りもあるし、ジャンヌ・ダルクの塔もジャンヌ・ダルク教会もあります。
いろいろある中で、時間がなかったので一番近いジャンヌ・ダルク博物館へ行くことにしました。
(こういう選び方は間違いでしたが、気がついたときはもう後の祭りです。)




上の写真は博物館の入口です。
左がその看板?の拡大写真です。












近くまで来ているはずなのに博物館らしき建物がなかなか見つからなかったので、そのへんの人に訊ねたらすぐ目の前でした。
でも、これって博物館というよりお土産やさんという風情でしょ?
入館料4ユーロなりを払って入りましたけれども、中は博物館というよりも見世物小屋という感じでガッカリでした。

次回ルーアンへ来ることがあっても、ここはパスして他のジャンヌ・ダルク関連施設へ行こうと思います。
(2010年9月)

2011年3月29日火曜日

ガレットにはシードル?

前出のリオン・ラ・フォレ村でランチになりました。
クロスがテーブルにかかっていて、結構高そうなレストランでしたが、メニューを見るとそうでもなかったので、写真の店に入りました。

12時過ぎたところなので、お客は我々以外には1組だけです。








さっそく当地の名物シードルを注文しました。
このボトルで5.50ユーロですから安いもんです。

え? シードルって何かってですか?
りんごから作った発泡酒のことです。
色からしても、りんごの搾り汁の色でしょ?








食べものは、もちろんガレットです。
え? ガレットって何かってですか?
そば粉入りのクレープのことですよ。
(自分も知らなかったけど)
茶色いのはただ焦げているんじゃあなくて、そば粉の色(なんだそう)です。

左のガレットはカマンベールとクルミ、それに野菜が入ったもので7.20ユーロ。
チーズがちょっとくどいカンジがしたけど、まあおいしかったです。





こちらはハムとチーズのガレット。
たたみ方は種類によって少し変わります。
中身が2種類なので4.20ユーロと少し安めです。
チーズもハムもちょっと塩味が強めだったけど、まずまずです。

で、シードルとの相性ですが、これは全然ダメです。
まず、シードルがおいしくない。まるで生乾きの布巾のようなニオイがしましたが、これはこのシードルが悪くなっていたためでしょうか、それともこの銘柄の味なのでしょうか。



だいたいのアルコール飲料はおいしくいただくタチですが、これはダメでした。
それ以来、旅行中はシードルを口にすることがありませんでしたので、本当にシードルがまずいものなのかどうかは不明です。

誰かに聞いた話では、この地ではぶどうが育たないためにワインが作れず、しかたなくりんご酒を飲んでるということです。そういうことなら、ワインよりおいしくないというのもうなずけます。

上は村の観光局で、レストランはそのはす向かいぐらいです。
(2010年9月)

2011年3月24日木曜日

フランス ノルマンディーの美しい村 リヨン・ラ・フォレ

かつてのノルマンディー公国の首都ルーアンの東34kmのところに、この美しい村があります。
村には17世紀の建物が多く残っているそうで、確かに古い木組みの家が村じゅうに見られます。

リヨンというのは、この村のそばにある森の名前で、かつてこの地が英国の支配下にあったとき、この森は王様の狩猟地だったということです。
その森を見に行きたかったのですが、車でどこから入ったらよいのか分からず、結局は通り過ぎただけで終わってしまいました。





村の中心にある広場に面した建物です。














木組みの家の壁です。
窓が半開きになっていて、窓枠に人形が並んで置いてありました。
間違って落ちてしまわないかと心配になります。










同じく村の中心の広場にある噴水です。














木枝を刈り込んで人間の形にしています。
頭の部分は人形です。












広場にあるフォーラム(市場)です。
ずいぶん古いもののように見えます。もう市場としては使われていないのかも知れませんが、広場の中心あたりに堂々と立っています。










フィーラムの柱です。シロアリに食われたようになっていて、もういつ朽ち果ててもおかしくない様子です。












村の家の屋根を撮りました。
木の皮か板で葺いているのでしょうか。それともスレートのように軽くて薄い石がこのあたりで手に入るのでしょうか。
材質は確認できませんでした。









村の家の壁に残っているレリーフらしきもの。
1580が年号であれば、430年前ということになります。
(2010年9月)

2011年3月17日木曜日

フランス アミアンのサン・ルー地区

アミアンの大聖堂から北へ徒歩数分のところにサン・ルー地区があります。
この地区の運河沿いに立ち並んだ建物の1階部分は殆どが飲食店になっています。

行ったのが午後の遅めで、ランチが終わってディナーはまだ早いという時間帯でしたので、どの店にも食事をする人の姿は殆ど見られませんでした。







午後の陽がまぶしいお天気の日でしたので、建物の姿が運河に映ってなかなか良い雰囲気です。













暑いので、ちょうど大聖堂が見えるカフェに入ってビールを注文しました。
フランスのビールはおいしくないと言われますが、暑くて喉が渇いているときのビールはおいしいものです。










暑いから運河に誰かが入っているのかと思ってよく見たら、これは人形でした。
あるいは、銅像に服を着せていたのかも知れません。










大聖堂のすぐ近くの駐車場に車を入れました。
アミアンの人口は約14万人だそうです。これぐらいの規模の街になると、中心近くに地下駐車場が必ずといってよいほどあります。
車で旅行するときは、できるだけ目的地の近くの駐車場へ車を入れるようにしています。中心街だと駐車料金は少し高めになりますが、観光に時間を多くとることができるので結局はお得です。
(2010年9月)

2011年3月11日金曜日

フランス アミアン大聖堂

アミアンの大聖堂はフランスでは最大規模のゴシック様式の大聖堂として知られています。
1220年に着工して僅か68年で完成したため、他の様式が混ざることが殆どなかったようです。

見どころはたくさんありますが、この大聖堂を一躍有名にしたのは、身廊の後ろ(後陣というらしい)にある「嘆きの天使」です。
第二次世界大戦のとき、この町をドイツ軍から解放した連合軍兵士がこの天使の絵葉書を送ったことから有名になったそうです。







「嘆きの天使」はこのような場所にあります。独立した作品ではありませんでした。
誰とかのお墓の上にある彫刻の一部になっています。









何を嘆いているのでしょうか?
右の人が左の人に何かを頼んでいるように見えるのですが、それは叶うことが無さそうな話で、手伝いができない非力な天使であることを嘆いているのでしょうか。(この部分は完全に作り話です)











身廊の高さはフランスで一番というだけあって、ステンドグラスも立派です。バラ窓は、でも少し小さめだったように感じましたが、高いところにあるためでしょうか。

このアミアン大聖堂も世界遺産に登録されているそうです。だから、ということはありませんが、規模の大きさや正面入口の彫刻などとても立派だと感じられました。
(2010年9月)




アミアン郊外のモーテルはちょっと懐かしい?

アミアンは少し大きめの街だということで、郊外に泊まることになりました。
適当なところがなかなか見つからず、エイヤっと予約したのが、このPREMIERE CLASSEというチェーンホテルです。

値段がとびきり安いのと、レビューに「狭い」「小さい」と思い切り書いてあったので、着くまで心配していましたが、やっぱり部屋は小さく狭かったです。

こういうところは、チェックイン時に宿泊料を全額支払います。朝食代も含めて払ったら、カギをくれます。


3階建てですがエレベーターはありません。階段は外階段のみ。部屋まで荷物をヨイショって持って上がるのも結構たいへんです。

部屋に入ってみたら、すごく狭くって荷物をどこに置いたら良いのやら。もちろん洋服ダンスとかそういう収納はなく、ただ壁にハンガーが数本掛けられるようになっているだけです。






バスルームも狭いです。まさに究極の狭さと言ってよいでしょう。
どれぐらい狭いか写真では表現できません。飛行機のトイレ程度というのが一番近いでしょう。
左の写真の右端にシャワーカーテンが写っていますが、トイレにふれる程近いです。シャワースペースも極狭で、身体の向きを変えることができないほどです。

そうしているうちに、こんなホテルにいつか泊まったことがあるような気分になりました。
そうそう、日本のビジネスホテルってこんなカンジだったなって。
よく荷物の置き場に困ったものでした。荷物を置くと歩くスペースがなくなってしまって。思わぬところで日本のビジネスホテルが懐かしく思い出されました。


夕食はすぐ横にあるレストランへ行きました。契約があるらしく、ホテルの宿泊カードを見せると食事代を10%割引してくれました。

宿泊代はダブルで46ユーロ、朝食は1人4.80ユーロ。食事も前菜とワインで済ませたので27ユーロと、この旅行中でもっとも安く済みました。







左はこの日のランチ代わりのコーヒーとマフィン、それにアップルパイです。
アップルパイは、オランダでもベルギーでも、そしてフランスでもどこでも見かけました。日本で言うとアンパンみたいなものなのでしょうか。
(2010年9月)

2011年3月2日水曜日

ここからフランス

ベルギーからフランスへ入るところです。
トラックの左にある標識の上に”FRANCE”と書いてありました。

陸続きだからこういうことなのでしょうが、国境らしいもの、たとえば遮断機とか入国管理官とか、そういうものが何もありません。それどころか、道路に線一本すら引いてありません。
ウーン、ユーロになったからこうなのか、それとも以前からそうなのでしょうか。
ヨーロッパの歴史は戦争の歴史だと言うほど戦争を多く経験したヨーロッパ人は、現在では国境をさほどのものとは考えていないのかも知れません。


高速道路でところどころ見られるアート(だと思うのですが)の一つ。
もしかしたら、地元市町村のマークかも知れません。
何か分からないものですが、手を合わせて協力している姿のようにも見えました。
「ヨーロッパは協力しているのか」と、また勝手な解釈をしてしまいました。
(2010年9月)

ベルギー モンス近くにあるゴッホの家

モンスから車で10分ほどのところにゴッホが住んだ家がありました。
1879年から80年にかけて、ゴッホが住み込んだドゥクリュック家の住居がモンスから僅か3km離れたキューム村というところに残っています。
このあたりは炭鉱が多いことから、ゴッホはここで炭坑夫たちの生活の様子を多く描いたそうです。

家の中は博物館になっていて、オリジナルの絵が一点だけありました。

ゴッホはこの地で画家になる決心をしたそうです。アルルやパリへ行くずっと前、あの暗い「馬鈴薯を食べる人々」(1885)の絵を描くずっと以前の話です。
だから、この家に画家ゴッホの原点があるということが言えるかも知れません。


家全体が傾いてしまったためか、入口ドアのヒンジは上下でずいぶん長さが違うものが取り付けられていました。
これは、おそらくオリジナルではなく、最近のものではないでしょうか。









裏に廻って見てみても、やっぱりすごく傾いています。
現在は2階に管理をする人だかが住んでいるそうで、その入口ドアが裏にありました。
家の周囲は湿っぽい森が続いています。










説明パネルにあった、ゴッホのお墓の写真です。
弟のテオのお墓と並んでいます。
(お墓はここではなくてフランスのオーヴェル・シュル・オワーズにあるそうです)
(2010年9月)

2011年3月1日火曜日

ベルギー モンスの「スペインの家」

 モンスの町を歩いていたら、おもしろい形の家がありました。
自力では立っていられないのか、それともレンガの壁が崩れてしまうのを防ぐためか、この建物は木材と鉄骨で「羽交い絞め」にされています。

建物の横の説明板がありました。
家の名前はMaison Espagnole。 スペインの家ということでしょうか。
16世紀に建てられた建物で、基調はゴシック、階段のような形のオランダ風の屋根が特徴です。




それまでの家の多くは石造でしたが、レンガの方が建築資材としては安価でした。1548年に起こった大火事の後に多くの家を建て直す必要があったこと、また大火事の直後に市当局が燃える建築資材の使用を禁止したこともあり、それからはレンガの家が増えたということです。
この家のスタイルは、その昔ネーデルランドがスペイン王の支配下にあったときの名残なのかも知れません。
(2010年9月)